農芸化学者。明治14(1881)年駒場農学校(後の東京帝大農科大学)に入学し、ドイツ人農化学者ケルネルに師事。23年帝国大学農科大学の助教授となる。25年女流作家の清水紫琴と結婚。28年ドイツに留学し、帰国後33年に東京帝大農科大学教授となる。大正9(1920)年から昭和3(1928)まで東京帝大総長。助教授時代から足尾銅山の鉱毒被害原因を調査・立証し、関東大震災後は東京帝大復興に尽力した。発酵化学研究で業績を残す。
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