作曲家。昭和8(1933)年に上京、11年に日本コロムビア専属となり、「別れのブルース」を発表。その後も「湖畔の宿」「蘇州夜曲」、戦後は「東京ブギウギ」の他、「青い山脈」などの作品を残した。ジャズの要素を取り入れた独自の歌謡曲のスタイルを築き、作編曲数は3,000曲以上に上る。また、村雨まさをの名で作詞家としても活動、日本作曲家協会会長、日本音楽著作権協会会長も務めた。没後、作曲家としては古賀政男に次いで2人目となる国民栄誉賞を受賞。