版画家。伯父は仮名垣魯文。鏑木清方に弟子入りを希望するが断られ、清方の勧めで洋画を学んだ。のち、再び入門を願い、27歳でようやく清方門下となる。大正7(1918)年、新版画運動の中心となっていた版元の渡辺版画店から初の版画3点を出版。以降、日本各地を旅行して写生を繰り返し、その写生画を元とした風景版画で多くの名作を生み出した。ともに新版画運動に参加していた同じ清方門下の伊東深水とは、長く交流があった。