明治42(1909)年、陸軍士官学校を卒業。歩兵少尉をへて、大正2(1913)年中尉となる。幼少期より飛行機の研究に熱中していたが、米国の飛行家マースらの来朝を契機として、飛行士になる決意を固める。大正2年7月、熱意を買われて飛行士となる。翌年4月26日、青山から所沢への帰還の途中、機体が故障し墜落して死亡。