写真の中の明治・大正 国立国会図書館所蔵写真帳から

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コラム<東北>

4 東北の温泉

台温泉
台温泉 『東宮行啓紀念写真帖』より

黒く立ちはだかるような山懐に抱かれ、いで湯に身を沈める。 山々で狭められた空には無数の星が輝き、湯煙の向こうで談笑する土地の人々の言葉は温かく、心を癒してくれる...。

日本は世界の中でも温泉に恵まれた国であるが、中でも東北地方は、環境省の統計「平成25年度温泉利用状況」(環境省ホームページ)によれば、国内の温泉地3,159の約29%を占める。全ての県において人工加温が不要な温度の高い源泉が圧倒的に多いのも特徴で、後述「主要な温泉」の通り、立地条件、景観及び特色も様々。色々な楽しみ方ができる、温泉地として魅力的な地域なのである。

主要な温泉・人気の温泉・利用客の多い温泉

○主要な温泉
大正4(1915)年、内務省東京衛生試験所の石津利作らによる国内の主要な温泉及び温泉地の調査結果をまとめた400ページを超す大部な資料"The mineral springs of Japan; with tables of analyses, radio activity, notes on prominent spas and list of seaside resorts and summer retreats"が「サンフランシスコ万国博覧会(パナマ太平洋万国博覧会)」に出品された。

東北地方では以下の温泉地が世界に紹介されたが、台温泉鎌先温泉のように奥深い山間部にある温泉、海が見える浅虫温泉、温熱を利用して栽培したもやしが津軽藩御用達となった大鰐温泉、強酸性硫黄泉の影響で玉川が「死の川」と称された時期もあった渋黒(玉川)温泉、奥州三名湯の一つ飯坂温泉など、バラエティに富んでいることがわかる。

("The mineral springs of Japan"で紹介された東北地方の温泉地)
青森県:浅虫、大鰐(おおわに)、蔵館(くらだて)、碇ヶ関(いかりがせき)
岩手県:台(だい)、志戸平(しどたいら)、大沢
秋田県:大湯沢、大湯(おおゆ)、大滝(おおだき)、渋黒(しぶくろ)、院内湯ノ沢
宮城県:鬼首(おにこうべ)、玉造、鎌先
山形県:温海(あつみ)、上山(かみのやま)、赤湯(あかゆ)、小野川、関根湯の沢、滑川、五色
福島県:湯野、飯坂、東山、甲子(かし)、猫啼(ねこなき)、母畑(ぼばた)

○人気の温泉
明治・大正期ではどのような温泉地が人気だったのだろうか。 明治11(1878)年1月発行の、全国の温泉地の人気番付表「内国温泉一覧」によれば、行司の大鰐温泉を始めとして、前頭に台温泉、飯坂温泉の他、日本海が一望でき、「奥羽三楽郷」の一つである湯野浜温泉(山形県)、秋保温泉(宮城県)・飯坂温泉とともに「奥州三名湯」の一つである鳴子温泉(宮城県)、「奥羽三高湯」の一つで、「蔵王高湯」の別名を持つ最上高湯(山形県)、三函湯・佐波古湯(いずれも「さばこゆ」)とも称され、古くから知られていた岩城湯元温泉(現常磐湯本温泉)(福島県)などが挙げられている。

赤湯
赤湯 『旅の家つと. 第42』より

○利用客の多い温泉
明治19(1886)年2月発行の内務省衛生局編『日本鉱泉誌』には、全国の温泉の泉質、所在地及び概況のほか、年間入浴客数が掲載されているが、東北各県の年間入浴客数を比較したところ、1位とその人数は以下の通りであった(詳細不明なものを除く)。

  • 青森県:蔵館温泉(現・大鰐温泉の一部)約3,000人
  • 岩手県:台温泉 約4,300人
  • 秋田県:大瀧温泉 約3,718人
  • 宮城県:遠刈田温泉 約19,648人
  • 山形県:赤湯温泉 約17,998人
  • 福島県:橋本温泉(湯野の別名) 約16,630人

また前述の"The mineral springs of Japan"には、明治42(1909)年に国内の主要温泉地を訪れた入浴客の人数が多い順に1位から63位まで掲載されているが、東北では5位飯坂温泉がトップとなり、9位湯野温泉(福島県)、11位上之山(上山)温泉、12位高湯温泉(山形県)、20位大鰐温泉、21位赤湯温泉(山形県)がこれに続く。

調査や人気の判定の時期が異なるため、単純な比較はできないが、『日本鉱泉誌』の東北6県で1位となり古くから湯治場として人気を集めた遠刈田温泉や、僅差で2位の青根温泉(宮城県/約19,344人)は、前述の"The mineral springs of Japan"には掲載されておらず、同書や番付表にも挙げられている台温泉は『日本鉱泉誌』では、それらの約1/5の入浴客数となっている。

大鰐温泉のように、番付で「行司」となり、利用客も多く、科学的見地での「主要な温泉」として取り上げられる温泉もあるものの、必ずしもそれらが一致しない場合もあるようである。

文学者に愛された温泉

大和物語
『大和物語』第2冊

東北の温泉は古くから知られており、平安時代成立の歌物語『大和物語』では奥州三名湯の一つ宮城県の秋保温泉が、別名の「名取の御湯(なとりのみゆ)」で詠まれている。

前項「利用客の多い温泉」で、紹介した飯坂温泉は、元禄2(1689)年5月5日、芭蕉がこの地に宿泊し、その足跡をたどるため、明治26(1893)年7月には正岡子規が訪れた。

また明治44(1911)年、与謝野晶子が夫鉄幹や小説家佐藤春夫らとこの地を訪れており、歌集『青海波』(せいがいは)の中で、当時10本の鉄線でささえられた吊橋であった十綱橋や、併せて訪れた東山温泉を詠んでいる。
「飯坂のはりがね橋にしづくしる吾妻の山の水色の風」
「湯あみしてやがて出じとわが思ふ会津の庄のひがし山かな」

おくのほそ道
『おくのほそ道』
東山温泉
東山温泉 『福島県写真帖』より

療養泉

温泉で治療するという考え方は古くからあり、江戸時代では、本草学者貝原益軒が『養生訓』で、また京都の儒医、香川修庵が『一本堂薬選続編』で「温泉」について述べ、特に後者では、飯坂、赤湯、鎌先、青根、台などの温泉地が挙げられている。
下って明治期、1902年にキュリー夫妻がラジウムを発見した後、我国では、ラジウムから発するラジウムエマナチオンの放射性成分が万病に効くと言われ、「ラジウムブーム」が起きた。
ラジウムエマナチオンをしみ込ませた脱脂綿をつめた「ラジウムパイプ」の販売、東京麻布でのラジウム浴場開設の他、ラジウム含有をウリにした飯坂温泉への上野発の臨時汽車の増発など、当時の盛り上がりぶりが窺える。
秋田県の玉川(渋黒)温泉は、98度の熱湯を毎分9,000リットル湧出し、一箇所の湧出量で全国一を誇るが、ラジウムを含む温泉沈殿物による鉱物「北投石(ほくとうせき)」を産出する温泉地としても有名で、現在でも病気療養を目的とした利用客で人気の温泉となっている。
この北投石は、台湾の北投温泉で産出するものと玉川温泉のそれとが同一の結晶をなすことを発見した鉱物学者神保小虎(じんぼ ことら)によって大正2(1913)年に命名され、現在では国指定特別天然記念物に指定されている。
また北投温泉は、明治28(1895)年、初代台湾総督樺山資紀(かばやま すけのり)と画家藤田嗣治の父で当時台湾守備軍医部長であった藤田嗣章(ふじた つぐあきら)が現地を視察し、戦病者の療養施設として建設された台北陸軍衛戍(えいじゅ)病院の療養分院が建設された温泉でもある。

温泉療養の効果は、泉質だけで決まるものではなく、立地条件や気候、環境、泉温など総合的な条件によって決まり、また、病状、体調など人それぞれの状況で差異が生じる。 人それぞれ心や体まで癒される温泉の姿は異なるであろう。
このコラムが、そんな「自分の温泉」探しのきっかけになれれば幸いである。

※厳密には、温泉と鉱泉は異なり、温泉は「温泉法」(昭和23年7月10日公布、同年8月9日施行)で、鉱泉は環境省自然環境局の「鉱泉分析法指針」(環境省ホームページ)で定義が定められているが、参考資料中厳密に使い分けされていない場合も見受けられたため、文中では資料のタイトルを除き、「温泉」に統一した。

引用・参考文献