近世における最も偉大な百科全書的文化人

新井白石

(あらいはくせき)

1657-1725(明暦3年-享保10年)


名前

名は君美(きんみ)。字は在中、済美。通称は伝蔵、勘解由(かげゆ)など。白石は号。

職業

儒者、朱子学者

人物

江戸に生まれ、30歳のころ木下順庵の門に入った。順庵門下ではたちまち頭角をあらわし、元禄6年(1693)師の推挙により、甲府藩主徳川綱豊(のちの6代将軍家宣)に儒者として仕えることになった。37歳だった。宝永6年(1709)家宣が6代将軍を継ぐと、そのブレーンとしていわゆる「正徳の治」を推進、内政・外交に活躍した。しかし、享保元年(1716)7代家継が夭折し、吉宗が将軍になると退けられ、晩年は閉居して著述に努めた。享年69歳。

業績

白石の本領は、歴史学とくに日本史の研究にあった。さらに言語学・西洋事情・地理学など多方面にわたり独創的な業績を遺した。また漢詩人としても当代随一と言われた。著作に『折たく柴の記』『西洋紀聞』、編著に『藩翰譜(はんかんぷ)』などがある。

蔵書印

ほかに、「君美」「白石」など20数点が知られている。「天爵堂図書記」は、白石の代表的な蔵書印になる。天爵堂は白石の号のひとつで、『孟子』告子上の「仁義忠信、善ヲ楽ミテ倦マザルハ、此レ天爵ナリ」から採られた。天爵とは人爵に対するもので、「仁義忠信等の徳は天から与えられる爵位である」という意味。

印影のよみ・大きさ

「天爵堂図書記」(てんしゃくどうとしょき):43x24mm

印影撮影資料
蔵書について

白石はかならずしも蔵書に富んでいなかったようだ。晩年は知人に蔵書の不備を訴え、書物の借用や調査を依頼していることが書簡からわかる。また日記によれば、家宣から多くの書物を借用して書き写したり、下賜されたりしている。

肖像

〔栗原信充画〕「肖像集」(写 〔江戸後期〕)【寄別4-1-3-1

参考文献

『新井白石全集』全6巻(国書刊行会 1977 [1905-1907刊の復刊])【HA41-6
宮崎道生著『新井白石』(吉川弘文館 1989 [新装版])【HA41-E4

電子展示会

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