リンネの植物分類法をはじめて紹介した日本最初の理学博士
(いとうけいすけ)
1803-1901(享和3年-明治34年)
姓は西山。名は舜民、のちに清民。 字は戴堯(たいぎょう)、のちに圭介。号は錦窠(きんか)ほか。
植物学者、蘭方医
尾張名古屋出身。19歳で上洛して藤林泰助に洋学を学び、21歳のとき吉雄耕牛の孫常三に蘭学を学んだ。24歳のときにシーボルトに会ったことが転機となり、翌年長崎へ赴きシーボルトに師事、本草学の革新へと進んだ。
のちに蕃書調所に入り、さらに東京大学に迎えられ、小石川植物園を監督した。明治21年(1888)に日本最初の理学博士となる。リンネの植物分類法をはじめて本格的に紹介したことでも知られる。明治34年(1901)、99歳で長寿を全うした。著作に『泰西本草名疏』『日本産物誌』などがある。
ほかに、「九十一翁」「華繞書屋」など10数点がある。
尾張伊藤圭介之記(おわりいとうけいすけのき):39x29mm
伊藤圭介の蔵書は、現在、当館の伊藤文庫、名古屋大学図書館の伊藤文庫、名古屋市東山植物園のコレクションが知られている。
当館の伊藤文庫は、尾張の本草家伊藤圭介の旧蔵本に孫篤太郎収集をくわえた約2,000冊のコレクションで、圭介の自筆本をはじめ、幕末、明治の本草学者たちの手稿本に特色がある。昭和27年に編刊した『本草関係図書目録』の上巻に、白井文庫とともに収録されている。
『愛知学芸雑誌 (74)』(愛知学芸雑誌社 1898-06)【雑55-18】