多くの門下生を輩出した江戸古学派の重鎮
(しみずはまおみ)
1776-1824(安永5年-文政7年)
通称は玄長。号は月斎、泊舎(さざなみのや)など。
医者だったが、国学者、歌人として名高い。
江戸飯田町で生まれる。17歳で村田春海に入門し、古学を学んだ。狩谷棭斎と交渉をもち、考証学派の影響を受ける。
性格は温和で、岡本保孝(況斎)、岸本由豆流など門人が多い。また、諸侯から招かれることも多く、松平定信の知遇も得ている。後妻は三井親和の娘ということから、交際範囲も想像できる。
著作に『泊筆話』『浜臣翁家集』など多数。
ほかに、「泊舎」「清氏之印」「藤原」がある。「泊洦舎」は、不忍池近くの茅町にある家の号。
「泊洦舎蔵」(さざなみのやぞう):45x17mm
「清水濱臣藏書」(しみずはまおみぞうしょ):58x43mm