108歳?まで生きた江戸幕府の守護僧
(てんかい)
1536-1643(天文5年-寛永20年)(生年には異説がある。)
初期には随風と称する。 南光坊、勅諡:慈眼大師
僧侶
会津高田郷(現福島県)生まれとされる。
11歳で会津高田(現在の福島県)の龍興寺に入り、14歳から比叡山で天台宗を修めたという。その後各地で仏教を学び、一時武田信玄にも用いられた。慶長4年(1599)には天海と改名、徳川家康の信頼を得て、比叡山探題執行を命じられ、延暦寺復興に努めた。宮中でも法を講じるなど活躍、慶長18年(1613)には家康から下野(現在の栃木県)日光山を与えられた。元和2年(1616)には大僧正となり、家康の死後は、その廟を日光に移し東照宮を建立、元和8年(1622)には徳川家の墓所となる上野寛永寺を開いた。108歳とも言われる長寿をまっとうした。
ほかに、無郭の「天海蔵」がある。
「天海藏」(てんかいぞう):40x18mm