俳句・短歌の革新者
(まさおかしき)
1867-1902(慶応3年-明治35年)
本名:常規、幼名:処之助、通称:升、号:獺祭書屋主人、竹の里人
俳人、歌人
伊予国温泉郡藤原新町(現愛媛県松山市)に生まれる。父隼太は松山藩の下級藩士。
松山中学を中退して明治16年(1883)に上京、大学予備学校に通い、夏目漱石と知り合う。明治25年(1892)に東京帝国大学を中退。最初は小説を書いたが、俳句に転じ俳句革新をめざす。日清戦争従軍後、喀血し肺結核で病の床につくが、明治31年(1898)には「歌よみに与ふる書」を書いて短歌の革新にも情熱を傾けた。36歳で死去。野球を好んだことでも知られる。
ほかに、「子規子」、「正岡氏之図書」、「正岡」(3種)、「竹乃里人」が知られている。
「獺祭書屋図書」(だっさいしょおくとしょ):31x30mm
蔵書は書生時代に買い集めたものが大半を占める。明治24年末の自筆の蔵書目録に約840点、1,400冊を掲載。うち約580点、1,100冊が、現在法政大学図書館子規文庫中にある。
内容は広範囲に及ぶが、江戸後期に出版された俳譜・読本・音曲等が多く、江戸文学には特に通暁した収蔵ぶりである。古俳書については、東京図書館に通って手写もしている。
『寒山落木』(俳句)、『竹乃里歌』(短歌)、随筆として『墨汁一滴』、『病牀六尺』、日記『仰臥漫録』等がある。