海を渡ってきた漢籍を収集した九州佐伯藩の藩主
(もうりたかすえ)
1755-1801(宝暦5年-享和元年)
幼名:彦三郎、字:培松
号:霞山、堂号:紅粟斎
豊後国佐伯藩藩主
江戸藩邸に生まれ、6歳で家督を継ぎ、佐伯藩(現大分県佐伯市)2万石の8代藩主となる。財政再建に努めるとともに、学問を好み、安永6年(1777)に藩学四教堂(しこうどう)を開設。47歳で死去。
「佐伯文庫」(さいきぶんこ):101x46mm
蔵書の大部分が唐船により舶載した漢籍で、宋、元、明版、朝鮮本の良書が多い。8万巻を蔵すると言われた「佐伯文庫」は、当時、三大文庫の一つと称せられた。
現在は宮内庁書陵部、国立公文書館内閣文庫、大分県立図書館、佐伯市などに分散している。宮内庁書陵部、内閣文庫の蔵書は、文政11年(1828)、10代藩主高翰(たかなか)のときに、20,758冊を幕府へ撰択献納したもの。