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3. オランダ語の学習

日本におけるオランダ語学習は、長崎の出島居留オランダ人との交渉のために長崎に配置された通詞(通訳)たちによって始められた。始め平戸にあったオランダ商館が長崎の出島に移されたのは、寛永16年(1639)の鎖国令によりポルトガル人が出島から放逐されてから2年後の寛永18年(1641)のことであったが、これ以後幕末に至るまでオランダ商館員(ただし男性のみ)は長崎の出島に居住を認められ、幕府公認の日蘭貿易に従事した。オランダ商館が出島に移って以後、幕府は、日蘭交渉の実務に携わらせるために通詞、すなわちオランダ語の通訳の養成を開始し、将来の通詞候補の若者を選んで出島に赴かせ、オランダ人から直にオランダ語を学ばせた。こうしてネイティブ・スピーカーからオランダ語を学んだ通詞の仕事は世襲であり、それぞれの家で親から子へとオランダ語の知識を伝承させた。このようにして、17世紀後半には長崎の通詞制度が確立し、ある程度のレベルの生きたオランダ語の知識が伝承されるようになった。

17世紀後半以降の日蘭貿易の進展とともに、長崎におけるオランダ語の学習と研究はこれらの通詞たちを中心として深められ、語学のみならず西洋の学問の研究も一段と進展した。このようにして西洋の学問研究を行ったことで知られるオランダ通詞の家としては、吉雄家、志筑家、本木家などが知られている。

また、18世紀後半の江戸においても、前野良沢、杉田玄白らがオランダ語医学書の翻訳を行い、安永3年(1774)に『解体新書』として刊行し、また、大槻玄沢の私塾である芝蘭堂ではオランダ語教育が行われ、寛政8年(1796)に玄沢の弟子の稲村三伯が日本で最初の蘭和辞書である『波留麻和解』(「江戸ハルマ」)を刊行するなど、蘭学の興隆が見られた。

19世紀になると、世界情勢の変動が日本にも波及し、フェートン号事件(1808年)をきっかけに、長崎の通詞たちの間ではオランダ語のみならず英語の学習も始められ、のちに日本人がオランダ語学習から英語学習に転換していく先駆けをなした。その一方、ヨーロッパ情勢の変動によりオランダ船の渡来がほとんど途絶えた1810年代の出島では、オランダ商館長ドゥーフが、『波留麻和解』のもとになったフランソワ・ハルマの蘭仏辞典の日本語訳を独自に開始し、ドゥーフ帰国後の天保4年(1833)に、長崎通詞たちの手で『ヅーフハルマ』(「長崎ハルマ」)として完成した。この『ヅーフハルマ』は写本の形で西日本を中心に流布した。

また、19世紀前半には長崎や江戸以外の地でも私塾や大名家で蘭学やオランダ語学習が行われるようになった。こうした私塾の中では、緒方洪庵が開設していた大坂の適塾が名高く、村田蔵六(大村益次郎)や福沢諭吉などが門弟として知られている。

嘉永6年(1853)のペリー艦隊の来航に刺激を受けて、日本における蘭学及びオランダ語学習は一層の進展を見せ、安政5年(1858)には今日の慶應義塾大学の前身となる蘭学塾が福沢諭吉により江戸で設立された。また同じ頃に、近畿・北陸や東北、九州の諸藩においても蘭学の進展がみられた。

その後、明治維新とともに、英語、フランス語、ドイツ語などがオランダ語に代わって日本人の学習対象となっていくが、地方においては、19世紀の後半までオランダ語やオランダ語文献の影響が残っていたようである。

辞書

ハルマ辞書
Halma, F.: Woordenboek der nederduitsche en francsche taalen.

4. druk. Hage: J. Thiery & C. Mensing, 1781. 1 v. <蘭-993>

  • Woordenboek der nederduitsche en francsche taalen

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フランソワ・ハルマ編の蘭仏辞典。初版は1710年刊。この辞書をもとにして、本格的な蘭和辞典である『波留麻和解』(江戸ハルマ)及び『ヅーフハルマ』(長崎ハルマ)が作成された。当館所蔵本はハーグで1781年刊行の第4版であるが、この他にもいくつかの版が日本に輸入されている。

訳鍵

藤林元紀(普山)編 文化7(1810)跋刊 3冊 <216-131>

稲村三伯(1758-1811)の弟子である藤林普山(泰助)(1781-1836)が編纂・刊行した『波留麻和解』(江戸ハルマ)の簡略版。正式名称は「Nederduitche TAAL. 訳鍵」という。乾・坤2冊及び付録の計3冊から成る。見出し語数約3万。日本で刊行されたものとしては2番目に古い蘭日辞典である。

[ハルマ辞書]

[高野長英写] 1枚 <YR8-N80>

稲村三伯の『波留麻和解』(江戸ハルマ)を書写したもので、高野長英書写と伝えられる。布川文庫。

和蘭字彙

道氏訳 [桂川]月池(甫周)[ほか]校 [江戸] 山城屋佐兵衛 安政2-5(1855-58)刊 12冊 <蘭-96~107>

  • 「和蘭字彙」

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桂川家第7代桂川甫周(国興くにおき1826-1881)が幕府の許可を得て刊行したオランダ語-日本語辞典。見出し語数 約5万。本書は『ヅーフハルマ』通称「長崎ハルマ」の増補改訂版であり、江戸期に日本で印刷・刊行された蘭日辞典としては、最も完備したものであった。蕃書調所旧蔵。

その他の辞書・単語集
Weiland, P.: Nederduitsch taalkundig woordenboek.

Amsterdam: J. Allart, 1799-1811. 11 v.  <蘭-1010~1020>

  • Nederduitsch taalkundig woordenboek

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ウェイランド編纂のオランダ語辞典(蘭-蘭)。福沢諭吉(1835-1901)の『福翁自伝』によると、大坂の適塾にも、ハルマ辞書と一緒にこの辞書の一揃いが備えられていたという。

蛮語箋

[森島中良著] 寛政10(1798)序刊 1冊 <わ813-19>

  • 「蛮語箋」

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森島中良(1754-1808)が編纂した『類聚紅毛語訳』(1798)を熊秀英の名で改題した本で、約1,800語の日―蘭語彙集。「天文」「地理」「時令」「人倫」というような部門に分けられており、清朝で作られた『清文鑑』などの辞書の影響が感じられる。本書では日本語語彙に相当するオランダ語の語彙は、アルファベットではなくカタカナで表記されており、巻末には世界各地の地名のオランダ語を示した「万国地名箋」が付されている。国語学者岡田希雄旧蔵書。

改正増補蛮語箋

2巻 森島中良[著] 箕作阮甫[補] 江都 須原屋伊八[ほか] 安政4(1857)刊 2冊 <849.3-M556k>

  • 「改正増補蛮語箋」

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前出の『蛮語箋』に箕作阮甫が訂正・増補を加えたもので、嘉永元年(1848)に初版が刊行された。本書ではオランダ語の語彙はカタカナとアルファベットで表記されており、また「火器」「日用語法」「会話」部門が追加されている。亀田文庫

蘭例節用集

広川獬編 京都 広川瑶池斎 文化12(1815)跋刊 1冊 <本別14-7>

長崎遊学の経験のある京都の医師広川獬(生没年未詳)が編集したイロハ引きの辞書。書名に「蘭例」と冠するのは、オランダの辞書にならって第二音もイロハ順で配列されているからである。「吸気管(かていてる)」などオランダ語の語彙を取り入れ、植物や器具の項目などには挿絵も付けられている。私家版として刊行。

蕃語象胥

葛拉黙児私著 弘前 佐々木元俊蔵板 安政4(1857)刊 2冊 <W142-67>

  • 「蛮語象胥」

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弘前藩の蘭学者佐々木元俊(1818-1874)が弘前で翻刻・刊行したオランダ語の外来語辞典。Kramers: Woordentolk verkort(Gouda, 1854)を筆記体の整版で翻刻したものである。

字書原稿

西村茂樹写 2冊 <827-176>

西村茂樹(1828-1902)書写の蘭日辞書。江戸期においては、オランダ語の辞書は流通部数が少なく高価であったため、蘭学者が辞書を書写するのは普通のことであった。

入門書・文法書

蘭学階梯

2巻 大槻玄沢撰 東都 松本善兵衛[ほか] 天明8(1788)刊 2冊 <402.1059-O932r-II>

  • 「蘭学階梯」

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大槻玄沢(1757-1827)が編纂した蘭学入門書。オランダ語の文字や数字についての解説を含む。見返しに「彩雲堂主人蔵刻」とあり、福知山藩主朽木昌綱の援助の下で刊行された初版本。蘭学全般の入門書としては日本で初めて刊行されたもので、何度も版を重ね、その後の日本における蘭学の普及と発展に大いに貢献した。亀田文庫

蘭学佩觹らんがくはいけい

吉川良祐編 [江戸] 芝蘭家塾蔵版 文化8(1811)刊 1帖 <172-44>

折り本形式のオランダ語アルファベット表。大槻玄沢の門人吉川良祐が寛政7年(1796)に芝蘭堂の初学者のために製作した一葉両面袖珍本に、大槻玄幹が「附説」を加えて、再刻したもの。

  • 「蘭学佩觹」(5コマ目)

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  • 「蘭学佩觹」(6コマ目)

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和蘭文字早読伝授

田宮仲宣著 浪速 秋田屋太右衛門  文化11(1814)刊 1帖 <す-69>

折り本形式のオランダ語入門書。著者の田宮仲宣(橘庵1753?-1815)は蘭学者ではなく、洒落本・随筆作者として知られる。上方で活動し、多方面の著作がある。

和蘭語法解

藤林普山訳 大坂 河内屋喜兵衛[ほか] 文化12(1815)刊 3冊 <849.3-H884o>

  • 「和蘭語法解」

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藤林普山が書いたオランダ語文法。刊行されたオランダ語の文法書としては、日本最初のもの。天文方で多くの翻訳を行い、文化11年(1814)に幕臣となった元長崎通詞馬場佐十郎(1787-1828)の蘭語序文あり。亀田文庫

語学新書

中橋鶴峯(鶴峯戊申)著 斎藤春昌校 天保4(1833)序刊 1冊 <815-Tu766g2-S>

  • 「語学新書」

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国学者鶴峯戊申つるみねしげのぶ(1788-1859)が著した日本語文法書。オランダ語文法に倣って品詞を分類しているのが特徴。亀田文庫

和蘭文典 前編

江都 須原屋伊八[ほか] 安政4(1857)刊 1冊 <439.315-M111g>

オランダで刊行されたオランダ語文法の教科書を天保13年(1842)に箕作阮甫(1799-1863)が筆記体による整版で翻刻したものの再版。原題はGrammatica of Neederduitsche spraakkuunst(1822)で、著者であるMaatschappij tot Nut van 't Algemeenは1784年に設立された教科書出版会社。福沢諭吉の『福翁自伝』や長与専斎の『松香私志』によると、大坂の適塾ではこのGrammatica(ガランマチカ)が初心者用のオランダ語教科書として用いられ、半年で修了したという。

訓点和蘭文典

総摂舘蔵板 安政4(1857)刊 1冊 <239-121>

  • 「訓点和蘭文典」

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箕作阮甫が翻刻した『和蘭文典 前編』の品詞論の箇所に日本語訳を施し、オランダ文を漢文訓読の方法で読もうとしたもの。

和蘭文典 後編

作州 箕作氏蔵版 嘉永1(1848)刊 1冊 <439.3152-M111s>

Grammaticaと同じく、箕作阮甫が筆記体による整版で翻刻した、オランダ語構文の教科書。原題はSyntaxis of woordvoeging der Nederdutische taal(1810)で、著者はGrammaticaと同じくMaatschappij tot Nut van 't Algemeenという会社。本書は、Grammaticaで初級文法を終えた者が引き続きオランダ語の構文を学習するための教科書であり、Grammatica同様、適塾では半年間で学習を修了したという。

繙巻得師草稿 (『海外事類雑纂』第4 冊所収)

[高野長英著] 写 1冊 <寄別14-25>

高野長英(1804-1850)が執筆した初心者向けのオランダ語概説書。稿本。当館所蔵本は長英自筆本の可能性がある。長崎遊学の折に長英がオランダ通詞の吉雄権之助(1785-1831)から学んだオランダ語の知識に基づいて執筆したもので、文政11-12年(1828-29)頃の成立と考えられている。

和蘭語学原始

安政3(1856)刊 1冊 <439.315-E26>

オランダ領東インドの学校で使われていたEerste beginselen der Nederduitsche spraakkunst(Samarang, 1844)というオランダ語の教科書を、越前福井藩の藩校明道館で翻刻・出版したもの。ペリー来航の影響により日本の各地方で蘭学が盛んになったことを例証する書物と言えよう。

英語についての文献

英吉利文話之凡例

2巻 吉雄如淵(権之助)著 自筆  2冊 <特7-47>

長崎通詞の吉雄権之助が執筆した、英会話文例集。長崎の通詞が英語学習も行うよう幕府から命じられたのは、文化5年(1808)のフェートン号事件が直接のきっかけである。この事件ののち、幕府は、英国船の再来に備えて長崎の防備を固めると同時に、英語の通訳を用意しておく必要に迫られており、長崎の通詞たちに英語を学習させた。本書は、そうした英語学習のテキストとして用いられたものであろう。伊藤文庫

コラム 舌切雀

ファンスケルンベーキ訳述 鮮斎永濯画 東京 弘文社 明治19(1886)刊 1冊 <特67-743>

明治期に外国人向けに盛んに作られた、いわゆるちりめん本のうちの『舌切り雀』オランダ語版。平紙本。訳者はPieter Gerard van Schermbeekで、オランダ語の訳書名はDe musch met de geknipte tongとなっている。本書は、19世紀に日本で刊行されたオランダ語図書のうち、当館所蔵分としては最後のものである。