第1章 時間感覚

鉄道の開業は、日本人の時間感覚に影響を与えました。また、その後の延伸と技術革新に伴って、鉄道はヒトやモノをより速く、より遠くまで運ぶことが可能になります。
第1章では、開業初期の鉄道が人々の時間感覚に与えた影響を紹介するとともに、現在の東海道本線を中心に鉄道の高速化の道のりをたどっていきます。

時刻の統一 ~暮れ六つから何時何分へ~

明治の初め頃まで、人々は、不定時法(昼夜をそれぞれ6等分して時間を決める方式)を用いて生活しており、最も小さい時間の単位は、一般的には「小半刻」(約30分)でした。
しかし、鉄道の運行には、運転間隔を規則正しく一定にする必要がありました。そこで、明治6(1873)年から太陽暦とともに定時法が導入されるのに先立って、鉄道開業当初から、時刻表に表示された鉄道の運行時間には、「何時何分」という分単位の時間が使われました。鉄道の運行時間や注意書きの表記は、人々に分刻みの時間を体感させました。

史料鉄道時刻表

岩倉使節団乗車の際の時刻表。不定時法の一日十二時制における「時(とき)」との混乱を避けるためか、「時」をカタカナで表記し、「品川仕立十一ジ二十分出行」などと書かれています。

日本鉄道史

左から3行目に、発車時刻の5分前には駅への立ち入りを禁じる注意書きがあります。上の時刻表では「時」ではなく「字」を用いています。これも「時(とき)」と間違わないようにするためですが、「ジ」ののちに「字」をあてていた時期がありました。

帝国鉄道発達史

ウォルサム時計会社製鉄道時計。鉄道開業初期から鉄道当局者に使用されました。

開業から10年ほど経つと、官設鉄道の延伸が進むとともに、私設鉄道の参入も増え、連絡輸送が想定されはじめたことで、時刻の統一が重要課題となりました。そこで明治20(1887)年には、「営業線路従事諸員服務規程」が定められ、官設鉄道における標準時の伝達方法などが定められました。

営業線路従事諸員服務規程

営業線路従事諸員服務規程。駅間の時刻の統一のために駅の時計と車掌が持っている時計の時刻を揃えることなどが求められています。

官報

官報に掲載されたこの頃の時刻表

高速化と長距離移動 ~もっと速く、遠くへ~

鉄道は、移動時間の画期的な短縮を実現しました。かつて江戸時代の旅人が1日程度かけて歩いていたとされる距離を、開業当初の鉄道はなんと1時間未満(53分)で運行していました。なお、開業翌年の明治6(1873)年には、旅客輸送に加えて貨物輸送も本格的にはじまりました。

秘録維新七十年図鑑
鉄道開業当時の第一号機関車

日本鉄道史
当時の時刻表

各地で官設鉄道の建設や延伸が進められ、明治22(1889)年には、新橋~神戸間が全て開通します。これが現在の東海道本線になります。当初は直通列車で新橋~神戸間は約20時間かかりましたが、江戸時代の旅人が江戸から京都まで2週間程度かけて歩いていたことに比べると、大幅な時間短縮でした。

国鉄蒸気機関車小史

形式5300。新橋~神戸間が全通した頃、同線を走行していました。なお、写真は後に他の路線で使われていた車体です。同形式をはじめ、2B形テンダー機関車と呼ばれる車種が、当時の主力でした。

日本全国汽車時間表

当時民間から発行されていた冊子時刻表

新橋~神戸間の運行時間は、その後も徐々に短縮されていきます。明治29(1896)年には急行列車が設定され、新橋~神戸間を約17時間で運行しました。明治39(1906)年には13時間40分に、さらに明治45(1912)年には、新橋~下関間で特別急行列車(特急)の運転が開始され、新橋~神戸間を約13時間(新橋~下関間は約25時間)で運行しました。

国鉄蒸気機関車小史
急行を牽引した6400形

国鉄歴史事典
明治45(1912)年運転開始の特急を牽引した8850形

工業之大日本

当時の特急の展望車

昭和5(1930)年、愛称が付いた新たな特急列車「燕」が誕生します。特急「燕」は東京~神戸間を約9時間で結び、昭和9(1934)年の丹那トンネル(静岡県熱海市)開通後は東京~大阪間を約8時間、東京~神戸間を約8時間30分で走るようになりました。

少年倶樂部
特急「燕」を牽引したC51型

丹那トンネルの話
丹那トンネル貫通当時の熱海口

日本交通変遷図鑑

一部区間で「燕」の補助をしたC53型

戦時中や終戦直後には特急列車が廃止されていた時期もありましたが、昭和24(1949)年、「へいわ」の愛称で東京~大阪間に特急列車が復活し、翌25(1950)年からは公募による改称により、再び「つばめ」の愛称が用いられるようになりました。

あたらしいのりもの
戦後の「つばめ」

また、明治以来、鉄道の電化が徐々に進みました。鉄道の電化は、機関車の牽引力を増幅し、速度を向上させ、輸送力も増大させました。昭和25(1950)年には、振動や騒音のため長編成・長距離には向かないとされていた電車(各車両に動力をつけて自走する方式)が改良され、東京~熱海・沼津間の列車が電車運転になりました。この電車は、「湘南電車」と呼ばれました。

きしゃでんしゃ

湘南電車

東海道本線では、昭和31(1956)年に支線を除く全線が電化され、電気機関車が牽引した特急「つばめ」は、東京~大阪間にかかる運行時間を約7時間30分にまで短縮しました。

昭和33(1958)年、ビジネス特急と呼ばれる「こだま」が運転を開始します。「こだま」は史上初の電車による特急であり、東京~大阪間を6時間50分、東京~神戸間を7時間20分で運行しました。

鉄道

特急「はと」を牽引する電気機関車EF58形。「はと」は、「つばめ」同様に東京~大阪間を結んでいた特急で、同型の電気機関車が、「つばめ」も牽引しました。

Facts & figures 1960

特急こだま

そしてついに昭和39(1964)年、東海道新幹線が東京~新大阪間で開通しました。開通当初は、東京~新大阪間を、超特急「ひかり」が4時間、特急「こだま」が5時間で運行していました。
現在、新幹線は各地に延伸し、長距離移動の重要な手段として活躍しています。

Facts & figures 1964

新幹線

次は第2章「産業」

次は 第2章
産業
For Industry



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