千駄木 (せんだぎ)
- 現住所
- 文京区千駄木
- 解説
- 一帯はもともと千駄木
御林 と称した林地で、上野寛永寺創建の後、薪材の供給地として寄進された。千駄木の名は、一日千駄の薪を伐り出したことにちなむとされる。千駄木から谷中、上野に通じる団子坂は、坂上から佃沖が見渡せたため別名汐見坂とも言い、道沿いに団子屋が多かった。坂上には植木屋が多く、年中何らかの園芸植物が見られた。安政3(1856)年染井から菊栽培の植木屋が移り住み、菊人形で知られた。坂下には、本郷台地と上野台地の間を縫って谷戸川(藍染川)が流れていたが、関東大震災後に暗渠とされた。宇平治という植木屋が紫泉亭と称する花屋敷を開き、庭園には池を設けたという。
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