解説
父は萩藩士。安政4(1857)年松下村塾に入り、吉田松陰に師事。以後尊皇攘夷運動に奔走。文久2(1862)年イギリス公使館焼討事件に参加。戊辰戦争では奥羽鎮撫総督参謀、整武隊参謀をつとめる。明治3(1870)年欧州留学。帰国後、内務大書記官、内務少輔、農商務大輔などを歴任。農林業の育成に力を注ぐ。駐独公使、宮中顧問官、枢密顧問官をへて、24年第1次松方内閣内相に就任。民党に対する大規模な選挙干渉を行い辞職。以後国民協会を創設し、副会頭となる。また産業組合の結成にも尽力した。「トコトンヤレ節」の作詞者でもある。
関連資料
リサーチ・ナビ
電子展示会「日記の世界」より