解説
父は鹿児島藩士。日田県知事、租税頭、大蔵大輔などを経て、明治13(1880)年内務卿となる。翌年大隈重信が政変で追放されると、参議兼大蔵卿に就任。いわゆる「松方デフレ」と呼ばれる緊縮財政を実施。第1次伊藤、黒田、第1次山県、第2次伊藤、第2次山県各内閣の蔵相。この間首相として2度組閣し、蔵相を兼任した。のち日本赤十字社社長、枢密顧問官、議定官、貴族院侯爵議員、内大臣を歴任。日本銀行の創立、金本位制度の確立など、財政指導者として功績を残す。元老としても重きをなした。
関連資料
リサーチ・ナビ
電子展示会「あの人の直筆」より