父は幕臣。昌平坂学問所、沼津兵学校、大学南校、大蔵省附属英学校で学ぶ。23歳のときに「横浜毎日新聞」の社員総代の島田豊寛の養子となる。明治14(1881)年東京横浜毎日新聞社に入社。23年第1回総選挙で衆議院議員に当選し、以後連続14回当選。27年衆院副議長。大正4(1915)年同議長。雄弁家として知られる。また、毎日新聞社長として廃娼運動、足尾鉱毒事件を取り上げるなどジャーナリストとしても知られている。