解説
明治の代表的な啓蒙思想家。父は中津藩士で、福沢が生まれた当時は大坂の蔵屋敷詰であった。父の死後中津に戻り、白石常人に師事し、その後大坂に出て、緒方洪庵に蘭学を学ぶ。万延元(1860)年から慶応3(1867)年にかけて幕府の遣欧米使節に3度参加し、『西洋事情』等の著作を通じて欧米文化を紹介した。4年慶応義塾を創設。明治以降官職に就かず、位階勲等を受けなかった。『学問のすすめ』(1872)、『文明論之概略』(1875)など多数の著作を発表した。
関連資料
著作
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電子展示会「あの人の直筆」より