父は佐賀藩士。大阪で緒方洪庵に蘭学、長崎でフルベッキに英語を学んだ後、藩命で江戸へ出府。維新後は、明治元(1868)年に神奈川裁判所に出仕するとともに、3年横浜で子安峻、柴田昌吉と活版印刷業日就社を創業(6年に東京に移転し、翌年、『読売新聞』を創刊)。5年駐英公使館1等書記官として渡英。帰国後、横浜税関長など大蔵省で勤務。15年検事に転じ、大阪控訴裁判所検事で20年退官。のち、読売新聞の2代目社長に就任した。