歌舞伎俳優。父は床山。四代目市川小団次に入門、元治元(1864)年養子となり初代市川左団次を名乗る。河竹黙阿弥の支援を受け、明治3(1870)年書き下ろし『慶安太平記』で丸橋忠弥を演じ好評を得る。同時期の九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎とともに「団菊左」と称された。26年明治座を興しその座頭となった。