狂言作者。商家に生まれ、天保6(1835)年五代目鶴屋南北に入門、14年に立作者となり二代目河竹新七を襲名した。幕末の歌舞伎俳優四代目市川小団次のために安政元(1854)年の『忍ぶの惣太』を初め多くの生世話狂言を書く。明治維新後も九代目市川団十郎や五代目尾上菊五郎に活歴物や散切物を提供した。明治14(1881)年引退を表明し黙阿弥と名乗ったが、その後も作者活動を続け、生涯に約360編の作品を残した。
河竹黙阿弥の作品、演説を聴く