幕臣。父は幕府医官。嘉永元(1848)年家業を継ぎ奥医師となる。その後、職を解かれ、5年に函館に移住。山野の開拓、病院の造成などに力を注ぐ。文久3(1863)年に江戸に戻り、親仏派として外交交渉にあたる。軍艦奉行、外国奉行を務め、慶応3(1867)年フランス派遣。維新後は新政府に仕えず、明治6(1873)年郵便報知新聞に編集主任として入社、随筆類を寄稿した。没後、著述は『匏庵遺稿』(1900)としてまとめられた。