探検家。陸軍軍人となるが、早くに予備役に入り、明治26(1893)年郡司成忠の千島探検に加わり、占守島で越冬。その後、北極点到達を目指すがアメリカ隊により達成されると、目標を南極点に変更した。大隈重信や新聞雑誌社の支援を得て、43年11月隊員26名と開南丸で品川を出発。大正元(1912)年1月南極に上陸し、南緯80度5分の地点まで到達、その地を大和雪原と命名した。