明治22(1889)年東京専門学校の邦語政治科に入学し、25年に卒業。大隈派の新聞だった郵便報知新聞に入るが、立憲改進党党報局に迎えられる。同党が分裂の後、憲政本党党報の主任記者、32年に万朝報の論説記者となり、行動する言論人として知られた。著作に『大隈伯昔日譚』(1893)、『地租全廃論』(1903)などがある。