成島 なるしま 柳北 りゅうほく

生没年
天保8年2月16日 〜 明治17年11月30日
1837年3月22日 〜 1884年11月30日)
出身地
東京都
職業・身分
ジャーナリスト 文学者
別称
成島惟弘(なるしま これひろ)

解説

漢詩人、随筆家。父は幕府奥儒者。安政3(1856)年奥儒者に任命され、徳川家定・家茂に経学を講じる。文久3(1863)年、狂詩により幕府を諷したかどで、閉門。慶応元(1865)年再び登用され、外国奉行、会計副総裁などを歴任。維新後は明治7(1874)年『柳橋新誌』を刊行、同年9月には『朝野新聞』の主筆として迎えられ、諷刺に富んだ文章で名声を博す。10年には文芸雑誌『花月新誌』を創刊した。

関連資料

直筆資料

著作

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成島 なるしま 柳北 りゅうほく

成島柳北の肖像
  • 成島柳北の肖像1枚目
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