小説家、翻訳家。東京外国語学校露語科中退。明治20(1887)年坪内逍遥のすすめで、近代小説の先駆とされる言文一致体の『浮雲』を発表。さらにツルゲーネフの『あひびき』『めぐりあひ』(1888)を翻訳した。32年に東京外国語学校教授となったが35年辞職、大陸に渡る。37年に大阪朝日新聞社に入社、39年に『其面影』、40年に『平凡』を東京朝日新聞に連載。41年特派員としてペテルブルグに派遣されるが、肺結核となり帰国途上死去した。
『』