新潟の豪農上野家に生まれる。江戸で洋学を修め、全国を周遊後、幕臣前島家を継ぐ。明治新政府に出仕し、イギリス留学から帰国後、駅逓頭・駅逓総監などを歴任し、我が国近代郵便制度の創設に尽力した。明治14年の政変により政府を去り、立憲改進党の結成に参加。また、東京専門学校(現早稲田大学)校長、関西鉄道社長を務めた。明治21(1888)年逓信次官として官界に復帰、電話事業の創始にあたる。退官後は再び実業家として活躍。のち、男爵、貴族院議員。漢字廃止論でも知られる。
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