革命運動家。兄に民権運動家の八郎、社会運動家の民蔵がいる。徳富蘇峰の大江義塾、東京専門学校などに学ぶ。明治20(1887)年キリスト教に入信したが2年で棄教、アジア革命の実践を目指す。30年孫文と知り合い、以後その革命運動の重要な支援者となる。33年の恵州蜂起失敗後、一時浪花節語りとなり孫文の革命精神を紹介。38年孫文らと東京で中国同盟会を結成、終生中国の革命派を支援した。