東久邇 ひがしくに 稔彦 なるひこ

生没年
明治20年12月3日 〜 平成2年1月20日
1887年12月3日 〜 1990年1月20日)
出身地
京都府
職業・身分
陸軍軍人 政治家 首相
別称
東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)

解説

久邇宮朝彦親王の王子。明治39(1906)年に東久邇宮家を創設。陸軍に入り、大正3(1914)年陸軍大学校卒業。翌年から7年間フランスに留学。昭和12(1937)年航空本部長、翌年第2軍司令官、14年に陸軍大将、16年に防衛総司令官。20年8月の終戦に伴い、初の皇族首相として組閣し、終戦処理にあたったが、2か月で総辞職。21年公職追放、翌年皇族の身分を離れ、東久邇稔彦と称する。

関連資料

電子展示会「あの人の直筆」より

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東久邇 ひがしくに 稔彦 なるひこ

東久邇稔彦の肖像
  • 東久邇稔彦の肖像1枚目
出典:
歴代首相等写真【憲政資料室収集文書 1142】

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