久邇宮朝彦親王の王子。明治39(1906)年に東久邇宮家を創設。陸軍に入り、大正3(1914)年陸軍大学校卒業。翌年から7年間フランスに留学。昭和12(1937)年航空本部長、翌年第2軍司令官、14年に陸軍大将、16年に防衛総司令官。20年8月の終戦に伴い、初の皇族首相として組閣し、終戦処理にあたったが、2か月で総辞職。21年公職追放、翌年皇族の身分を離れ、東久邇稔彦と称する。