哲学者。東京帝大哲学科に学び、夏目漱石の影響を受ける。岩波書店の『哲学叢書』の編集に加わり、自らも『西洋近世哲學史』(1917)などを発表。法政大学や京城帝大教授などを経て、昭和15(1940)年に第一高等学校長となり、戦後は20年貴族院議員に勅選され、翌年幣原喜重郎内閣の文相を務めた。同年8月帝室博物館総長、10月第18代学習院院長となり、41年に死去するまでその任にあたった。また戦後、講和にあたっては、平和問題談話会に参加して全面講和論を主張した。
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