解説
第一高等学校を経て、大正10(1921)年東京帝大法学部卒業後、三井銀行入行。三井の大番頭、池田成彬の命を受け、本来の銀行業務を離れて、軍人や官僚との間の連絡役を務める。昭和12(1937)年~15(1940)年には石原莞爾が満鉄経済調査会の宮崎正義に依頼して設立した日満財政経済研究会に参加する。22年4月衆議院議員に当選、翌年10月第2次吉田内閣の蔵相・経済安定本部総務長官に就任したが、同年12月13日夜、国会内で泥酔事件を起こし、蔵相と議員を辞任した。その後参議院議員を2期務めた。
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