明治42(1909)年東京帝大法科大学卒。同年鉄道院に入り、昭和5(1930)年南満洲鉄道理事、10年興中公司社長、20年愛媛県西条市長、21年鉄道弘済会会長を経て、30年日本国有鉄道総裁となり、東海道新幹線の建設実現に尽力し、38年退任。