洋画家。大正11(1922)年川端画学校に入学し、藤島武二に学ぶ。後に安井曽太郎に師事する。昭和2(1927)年二科展で初入選、戦前は二科展を中心に作品を発表。13年に渡仏しアカデミー・ランソンで学んだほか、ヨーロッパ各地を巡る。17年従軍画家としてマレー半島、タイ、シンガポールに渡り「山下・パーシバル両司令官会見図」で帝国芸術院賞を受ける。19年朝日文化賞を受賞。22年に第二紀会(後の二紀会)を創設し、42年に理事長となる。41年日本芸術院会員。