評論家。明治36(1903)年第一高等学校に入学し、37(1904)年に友人である藤村操の死を受けて『自殺論』を発表。42(1909)年東京帝大哲学科卒業。同年『東京朝日新聞』に文芸評論「真を求めたる結果」を発表し、自然主義の欠陥を指摘する文芸評論家として活躍した。代表作に「自然主義は窮せしや」、石川啄木の「時代閉塞の現状」執筆のきっかけとなった「自己主張の思想としての自然主義」など。没後、大正3(1914)年に『折蘆遺稿』が刊行された。