解説
幕臣富永惣五郎の次男として生まれた後、矢野氏に移籍。英語を学んで外国方訳官となり、文久3(1863)年遣欧使節に随行、翌年帰朝する。維新後は横浜に翻訳所を開くが、明治3(1870)年森有礼の推薦で外務省にはいり渡米、一時駐米代理公使となった。8(1875)年に帰国すると外務省を辞し、森が開設した日本最初の商業教育機関である商法講習所の初代所長となる。以後、商法講習所を継承した東京商業学校、高等商業学校(現一橋大学)の校長を26年までつとめ、日本の商業教育の基礎を築いた。37年貴族院議員に勅選。