解説
父は鹿児島藩士。藩校造士館、藩洋学校開成所に学ぶ。慶応元(1865)年藩の留学生として英国に留学。米国を経て明治元(1868)年帰国後、新政府において徴士、外国官権判事、公議所議長心得、制度寮副総裁心得などをつとめる。一時離職し郷里に戻るが、再び出仕。米国在勤後の6年明六社を設立するなど、欧米思想の啓蒙に尽力。8年商法講習所設立に参画。以後駐清公使、外務大輔、駐英公使、参事院議官兼文部省御用掛等を歴任。第1次伊藤、黒田各内閣の文相となる。憲法発布当日、国粋主義者に襲われ翌日死去。
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