解説
物理学者。父は会津藩士。明治4(1871)年イェール大学シェフィールド理学校に留学。帰国後、東京開成学校教授補を経て、12年東京大学初の日本人理学部教授に就任。X線発生の追試実験を行うなど、物理学専門教育の草創期を支えた。21年日本初の理学博士となり、34年東京学士院会員。同年東京帝大総長に就任するも、38年七博士建白事件の解決措置をめぐり辞任。以後、九州帝大総長を経て、大正2(1913)年再び東京帝大総長に就任、3年から10カ月間は京都帝大総長も兼任し、教育行政に尽力した。明治38(1905)年貴族院議員。大正12(1923)年枢密顧問官。
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