明治32(1899)年東京帝大卒業後弁護士となり、大逆事件、血盟団事件、相沢事件(永田鉄山暗殺事件)など多くの事件を担当。戦後は極東国際軍事裁判日本側弁護団長を務めた。その一方、34年から明治法律学校講師となり、後に明治大学総長。41年より衆議院議員、当選6回を数え、政友会に属して要職を歴任。退任後は顧問となる。昭和3(1928)年貴族院議員に勅選される。