萩藩の大組(上級武士)の家に生まれる。松下村塾で吉田松陰に師事した。尊攘派として活動、第一次長州征伐後、高杉晋作らと共に下関に挙兵、藩政を掌握し、第二次長州征伐や戊辰戦争で活躍。明治政府では越後府判事、参議、兵部大輔を歴任する。次第に新政府の政策に批判的となり、官を辞して帰郷。明治9(1876)年10月、旧萩藩の不平士族の頭目として奥平謙輔らと挙兵(萩の乱)するが、鎮圧・捕縛され、処刑された。