近代日本人の肖像

前原 まえばら 一誠 いっせい

生没年
天保5年3月20日 〜 明治9年12月3日
1834年4月28日 〜 1876年12月3日)
出身地
山口県
職業・身分
政治家 その他
別称
佐世(本姓)、子明(字)、八十郎(通称)、梅窓(号)、米原八十槌(変名)、原狷介(変名)

解説

萩藩の大組(上級武士)の家に生まれる。松下村塾で吉田松陰に師事した。尊攘派として活動、第一次長州征伐後、高杉晋作らと共に下関に挙兵、藩政を掌握し、第二次長州征伐や戊辰戦争で活躍。明治政府では越後府判事、参議、兵部大輔を歴任する。次第に新政府の政策に批判的となり、官を辞して帰郷。明治9(1876)年10月、旧萩藩の不平士族の頭目として奥平謙輔らと挙兵(萩の乱)するが、鎮圧・捕縛され、処刑された。

関連資料

SNSでシェア

前原 まえばら 一誠 いっせい

前原一誠の肖像
  • 前原一誠の肖像1枚目
  • 前原一誠の肖像2枚目
出典: