父は医師。有田八郎の実兄。独逸協会学校を経てドイツ留学、ライプチヒ大学等に学び明治27(1894)年帰国。30(1897)年日本勧業銀行に入行、33年台湾製糖を創立し、支配人、会長を経て大正14(1925)年~昭和2(1927)年まで社長を務めた。一方、明治37(1904)年3月衆議院議員初当選(以降、当選11回)、立憲政友会の重鎮として活躍。昭和2(1927)年4月~4年7月に田中義一内閣の、6年12月~7年5月には犬養内閣の農林相を歴任した。