本山 もとやま 彦一 ひこいち

生没年
嘉永6年8月10日 〜 昭和7年12月30日
1853年9月12日 〜 1932年12月30日)
出身地
熊本県
職業・身分
実業家
別称
本山松陰(もとやま しょういん)

解説

父は熊本藩士。藩校時習館で学んだ後上京、福沢諭吉に師事。租税寮、兵庫県勤務を経て、明治16(1883)年時事新報社入社、翌年会計局長、19年藤田組支配人に就任。22年『大阪毎日新聞』相談役、36年社長に就任。経営の拡大に尽力し、関西新聞界、続いて関東においても朝日・毎日独占体制を築き、全国紙にそだてた。新聞を「社会の木鐸」と見る風潮に対し、「新聞は商品である」と公言。昭和5(1930)年貴族院議員。

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本山 もとやま 彦一 ひこいち

本山彦一の肖像
  • 本山彦一の肖像1枚目
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