慶応義塾卒業後英国に留学し、ミッドル・テンプル大学法科を卒業。ロンドンで『日英実業雑誌』を発行した。明治28(1895)年に帰朝後、ロシア皇帝の戴冠式、英国ヴィクトリア女王即位60周年記念式典に参列した。また、大蔵省・農商務省嘱託として、欧米各国の財政経済事情の調査も行う。35年衆議院議員に当選(以後7回当選)。39年には英文通信社を創立、社長となり、欧米各国への日本事情の紹介に努めた。大正3(1914)年第1次大隈内閣の成立に尽力。12年憲政会総務。