漢学者、法学者。山田方谷に師事し、江戸に出て昌平黌に学ぶ。明治5(1872)年司法省に出仕、大審院判事などを務める。10年二松学舎を創立。東京師範学校、東京大学文科大学古典科教授となり、退官後は再度法曹界に入り、民法修正に当たる。宮中顧問官等も務めた。