新聞記者、政治家。幕臣高梨家の次男として生まれ,沼間平六郎の養子となり、養父とともに長崎で英学や兵学を学ぶ。戊辰戦争で捕縛されるも放免され、大蔵省・司法省出仕、明治4(1871)年岩倉使節団にも随行した。11年嚶鳴社を組織し自由民権運動を展開、12年に『横浜毎日新聞』を買収して『東京横浜毎日新聞』を創刊。15年立憲改進党の結党に参画した。同年東京府会議長。