洋学者、新聞・雑誌の創始者。漢学を修めたのち、伊藤圭介のもとで蘭医学を学んだ。元治元(1864)年幕府の開成所教授、のち頭取となる。語学才能が豊かで蘭学のほか英語、フランス語にも熟達し、多数翻訳し西欧学術の導入に貢献した。慶応3(1867)年日本初の雑誌『西洋雑誌』を、4年には日本人の手による最初の新聞『中外新聞』を創刊した。