外科医。慶応3(1867)年佐藤尚中の養子となり、3代順天堂主を継ぐ。明治2(1869)年ドイツ・ベルリン大学に留学し、帰国後順天堂で外科を担当。10年西南戦争で陸軍軍医監、戦後陸軍本部病院長を務めたが辞任。順天堂の経営に加え、18年帝国大学医科第一・第二病院長を兼任。28年陸軍軍医総監。日本結核予防協会の創立に尽力し、女子美術学校の理事長も務めた。