幕末の第11代薩摩藩主。藩主島津斉興の長子。異母弟久光と継嗣を争い、嘉永4(1851)年藩主となる。6年ペリー来航後、徳川斉昭、松平慶永ら有力大名や老中阿部正弘と結び、幕政改革・公武合体を図る。また洋学に傾倒し、川本幸民、高野長英、杉田成卿等と洋書の購読・翻訳・研究、反射炉や軍艦等の建設を始めガス灯・ガラス製造等のため洋式工場を作り、安政4(1857)年集成館と命名。斉彬は当時の日本をめぐる国際情勢に明るかったが、5年急死した。