明治34(1901)年上京し、和洋裁縫女学校(後の和洋女子大学)、東京府教員養成所(後の東京学芸大学)等で学ぶ。明治41(1908)年裁縫・手芸の私塾「技芸教授所」、「技芸伝習所」(後の大妻学院)を開設、発展して大正5(1917)年に大妻技芸学校を設立、昭和17(1942)年には大妻女子専門学校と改称した。戦後、公職追放解除後には校長職に復帰し大妻女子大学長等を歴任、良妻賢母教育の代表といわれた。