小説家。大正11(1922)年諏訪高等女学校卒業後に上京、電話交換手となり、アナーキストに近づき放埓な生活を送る。13(1924)年満州等を放浪し帰国後、同人誌『文芸戦線』に小説を発表するようになる。昭和2(1927)年労農芸術家連盟に参加、『施療室にて』を発表、新進プロレタリア作家として認められる。戦時中は検挙や病によって苦難の日々を送るも、戦後に入ると創作活動を再開し、精力的に発表した。
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