時代を切り拓いた女性作家たち

平安時代中期に著された『源氏物語』や『枕草子』を筆頭に、日本における女性文学の歴史は決して浅くありません。しかし、その後の貴族社会の没落や男性優位の家父長制が重んじられる武家社会の到来とともに、女性文学は閉塞の時代を迎えました。女性に再び学問、文学への門戸が開かれたのは、明治以降のことです。

文明開化を迎えたとはいえ、女性が男性同様の教育機会を得て、職業作家として直ちに活躍できるようになったとは言い難いです。現在、明治期の女性作家として教科書で取り上げられるのは樋口一葉与謝野晶子ぐらいでしょう。

しかし樋口や与謝野が活躍する以前、先駆者として奮闘した作家の評価が進みつつあります。その中には、自由民権運動家としても活動した岸田俊子(中島湘烟)、同じく自由民権家で、日本初のフェミニズム小説ともいわれる『こはれ指環』を書いた清水紫琴、日本人女性による初の近代小説とされる『藪の鶯』を書いた三宅花圃、『婦女の鑑』で進歩的な女性像を描いて衝撃を与えた木村曙らがいます。中島歌子の歌塾で同門であった三宅の作家としての成功は樋口を刺激し、小説を書いて生計を得ることを思いつかせました。樋口は『にごりえ』や『たけくらべ』など女性として社会で生きる困難や悲哀を描く名作を短期間で発表し、文壇で注目されました。さらに樋口の登場間もないうちに現れた与謝野晶子は女性の官能を自由に歌い上げた詩を発表し、女性解放運動に影響を与えました。

女性文学者が単発的に登場する状況に転機が訪れたのは明治40年代のことです。明治44(1911)年、平塚らいてうによって女性による初の文芸雑誌『青踏』が発刊されました。『青踏』には与謝野や長谷川時雨岡田八千代田村俊子野上弥生子ら当時活動した多くの女性作家が結集しました。雑誌は女性文学を盛り上げるのに一役買い、婦人解放運動にも大きな影響を与えました。

『青踏』自体は短命で終わりましたが、昭和3(1928)年には長谷川時雨ら『青踏』の関係者を中心として、雑誌『女人芸術』(第2次)が発刊されました。『女人芸術』には『施療室にて』でプロレタリア作家として注目された平林たい子をはじめ、岡本かの子佐多稲子宮本百合子らが稿を寄せました。また本誌は新人女性作家への登竜門の役割も果たしました。若手作家の中には「私は宿命的に放浪者である」で有名な『放浪記』の作者である林芙美子や、古典を題材にした作品で知られる円地文子がいます。

雑誌『女人芸術』は昭和7(1932)年に廃刊となりましたが、女性文学誌が当時文壇で疎外されていた女性作家に自己表現と連帯の場を与え、現在のように多くの女性作家が活躍する時代へと道を切り拓いたのでした。

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